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萩博物館に長州砲が里が里帰り
8月28日(木)
明治維新140年記念事業の一環で
1864年、幕末
イギリス、オランダ、フランス、アメリカの
四国艦隊下関砲撃事件で敗れた長州藩の戦利品
として、イギリスが持ち帰った大砲が萩に里帰りです
歴史を振りかえると
1854年 ペリー来航
1856年 日米通商修好条約(オランダ、フランス、英国、
ロシアとも同様)
鎖国体制崩壊
国内経済混沌 幕府に不満
1858年
安政の大獄 (井伊直弼による幕府の弾圧)
吉田 松蔭 死刑
1860年
桜田門外の変
井伊直弼暗殺
倒幕運動の中心が長州藩です
長州藩は、下関の関門海峡に大砲を整備
攘夷を進める
1864年 8月 下関事件で敗北
諸外国からの報復
戦利品として大砲を持ち帰りました
欧米の軍事力に屈した長州藩は
士以外から広く募兵しました
これが、奇兵隊でその中心が高杉晋作でした
そのころ、京都では長州藩が主導権を握って
いましたが、薩摩と会津藩がクーデターを起こし
長州藩撤退
1864年6月
池田屋事件
長州藩は京都へ派兵するが敗北(禁門の変)
このころ、イギリスに留学していた長州FIVEの一人
伊藤博文は下関攻撃が近いと聞かされ帰国
イギリスの技術力には勝てないと確信
6月10日
横浜にて、藩主を説得すると先方に説き了承
するが、藩では強硬論が強く、徒労となる
そのころ
長州藩は下関を守っていましたが、禁門の変
で弱くなっていました
8月
砲撃
図らずも敗北しました
講和の使者に高杉晋作を藩は命じました
禁門の変をうけて
幕府は長州藩を攻撃(第一次長州征伐)
高杉晋作は奇兵隊により応戦
内戦に勝利、長州に再度倒幕運動が広がります
以後
欧米の軍事力を知り、攘夷不可能と判断
イギリスの協力を得て、倒幕運動をすすめました
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